2017年11月7日火曜日

日本学術振興会特別研究員の山本めゆと申します。山口放送制作「奥底の悲しみ」において私の論文の知見があたかもこの作品のオリジナルな発見であるかのように表現されたことから、今後のクレジット表示等を求めて山口放送とディレクターの佐々木聰氏に対し申入れを行いました。

佐々木氏は企画の早い段階から山本論文を参照していたことを認めていますが、「奥底の悲しみ」の演出に問題はなく、また今後この作品をもとに書籍化することがあったとしても私の名前を挙げるつもりはないと主張しています。

拙稿は山本めゆ、2013、「父の痕跡:引揚援護事業に刻印された性暴力と「混血」の忌避」『帝国日本の戦時性暴力』、京都大学グローバルCOE「親密園と公共圏の再編成をめざすアジア拠点」(以下「山本論文」)で、以前はGCOEのサイト上でPDFが公開されていました。http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB1355595X

「奥底の悲しみ~~戦後70年、引揚げ者の記憶~」(以下「奥底」)は引揚者の性暴力被害をテーマにしたドキュメンタリー作品で、第11回日本放送文化大賞テレビ・グランプリ、2015年日本民間放送連盟賞報道番組部門最優秀賞等を受賞、NNNドキュメントやNHKBSでも放映されています。http://kry.co.jp/tv/okusoko/

争点となっている演出について

2点挙げます。まず天皇への上奏について。山本論文では、引揚援護院長官が天皇に対する上奏(1947)において「気の毒な婦人たち(=性暴力被害者)」の存在に言及し「全国の病院で問題解決にあたっている」と述べたことを示しました。

佐々木氏は上奏について資料名も含めて山本論文を通して知ったと認めています。ところが「奥底」では上奏について「(資料名)のなかにも~に関する記録を見つけました」というナレーションが付され、先行する研究から情報を得たことは示されていません。佐々木氏は山本論文を接写したわけではないので山本のクレジットは不要であり、「見つけた」とする表現にも問題はなかったと主張しています。

次に「特殊婦人」について。山本論文では山口県の仙崎引揚援護局史の記述をもとに、仙崎港では性暴力被害者が「特殊婦人」と呼ばれていたことを示しました。

「奥底」では、60分の番組のうち冒頭の約10分を「特殊婦人」に割き、佐々木氏が当時の関係者を訪ねて「聞いたことないですか?」などと取材する様子を追い、関係者さえ知らされていなかった事実を独自に掘り起こしたような演出になっています。また公式サイトでも「厚生省の記録を探ると、私たちは聞き慣れない言葉を見つけました。『特殊婦人』の文字です。(中略)私たちの取材が始まりました」と大きく掲げています。

これについて佐々木氏は、山本論文の該当箇所は読み落とした、「特殊婦人」は自分の取材活動を通して発見したものと主張しています。ちなみに山本論文では「特殊婦人」は天皇への上奏と同ページ、ほんの数行上に書かれてあります。

これまでの経緯

ここまでの経緯を簡単にまとめます。私が過去の作品を今になって問題視するようになったのは、①2017年春に山口放送が「奥底」に英語字幕をつけて海外の映像作品祭に出品したため(私の研究は英語では未発表)、②佐々木氏が学術シンポジウムで引揚げと性暴力について講演したり、ジェンダーの講義の一環として上映会が開催されるなどその内容が学術の場に還流されつつあるため、③「奥底」書籍化の可能性があるためです。

私が佐々木氏と最初に顔を合わせたのは2016年12月に上智大学で開催された上映会で、私はこのとき初めて「奥底」をきちんと視聴しました。壇上に立った氏は私の論文から学んだ旨を発言し、私はそれを氏の誠実さと受け取りました。

その後、私がある引揚者に関する記事を佐々木氏に伝えたところ興味をもった氏はさっそく取材を依頼、取材時には私も同行させてもらいました。撮影優先ですから私はいくつか質問したのみですが、依頼の労をとったのは佐々木氏ですし、新幹線駅から現地まで車に乗せてもらいましたし、大変感謝しています。その際に「奥底」に英語字幕がついてすでに海外に出品されたこと、さらに『戦場の性』の著者であるドイツの歴史学者レギーナ・ミュールホイザー先生の来日時に佐々木氏がDVDを手渡そうとしていることを知りました(結局DVDは渡されなかったとのこと)。

「奥底」が海外の作品祭に出品されたり、研究者の手に渡ることを知った私は危機感を覚え、4月から5月にかけ佐々木氏に数本のメールを送りました。後述しますが、佐々木氏からの返信の内容や言葉遣いに私はしばらく食事が喉を通らなくなるほど消耗しました。
身近な友人や先生方に相談し、やむなく代理人を立て山口放送に申入れを行うことにしました。今後の上映時には私の名前なり論文名を何らかの形で補ってほしい、講演や出版物での表現にも配慮してほしいとお願いする内容です。申入れにあたっては、指導教官の松田素二先生(京都大学)、この研究を最初期から見守ってくださった加藤秀一先生(明治学院大学)、戦時性暴力研究のメンバーを代表して牧野雅子さん(大阪府立大学)も意見書を作成してくださいました。

しかし8月に相手方代理人から送付された回答はまったくのゼロ回答でした。佐々木氏は書籍化にあたっても山本の名前を挙げることを拒否する理由として「山口の有名な学者さん」がこれらの内容は誰でも知っていることだとおっしゃった、と説明しています。そこでメールで1回、代理人を通じて2回にわたり「有名な学者さん」のお名前を尋ねましたが、開示することはできないとの回答でした。

出典の非表示とセクシズムの問題

典拠の記載に関して、私は学術のルールをテレビの世界にそのまま押し付けるつもりはありません。ただクレジットを示さず「見つけました」とナレーションを入れたり、公式サイトで大きく掲げることは、社会通念に照らしても許容される範囲を超えているように思います。

著作権の観点から何か主張できないかとも考えましたが、著作権法の保護の対象は「創作的に表現したもの」なので、今回のように史料を探してそれをもとに従来の議論を補強したり刷新したりといった営みそれ自体は対象外となります。したがって山本論文を接写していないのだからクレジット非表示という佐々木氏の説明は一見すると荒唐無稽ですが、少なくとも著作権の観点からいえば筋が通っていることになります。

となると、仮にジャーナリストが先行する学術論文を利用して取材・執筆しながらそれに触れずにノンフィクション作品を発表し、訳書まで出版されたとしても論文執筆者はまったく打つ手なし、といったことも起こり得るわけです。

最後に、私はこの一連の出来事はセクシズムの問題でもあると思っています。第一に、女性の性暴力研究の成果を男性が自分のもののように発表するというグロテスクさ、第二に私からの批判に対する応答の問題です。佐々木氏は私あてに「外部機関に聞くならば、全てを話さないといけないので、僕はやらない方がいいと思います」「学術界と放送界のルールの違いから生じたことでしょうから、出るところに出ても何の解決にもならないと思います。お互いに傷ついて終わりのような気がします」などのメッセージを送ってきたのですが、私が男性だったとしてもこのような脅し文句をちらつかせたりするでしょうか。

そもそも「全てを話さないといけない」「傷ついて終わり」と言われても私にはまったく心当たりがないのですが、それでも複数回にわたってこのような文言が送られてくれば何らかの報復も覚悟しなければならないのかと弱気になります。

女性の研究を利用し批判を向けられると口を封じようとする。佐々木氏は「奥底」で描いた性暴力や二次加害を自ら反復するという逆説に陥っているのではないでしょうか。

今後の交渉方針について代理人とともに検討中です。報道機関とのあいだで同様の経験をされた方、抗議や申入れなどを行ったことのある方などがいらしたら、ぜひご助言いただければ幸いです。代理人と相談しながら進めていますのですぐに返信できないこともありますが、どうぞよろしくお願いします。
以上です。

山本めゆ